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2012年8月 3日 (金)

現在進行形

 津波は我々の派遣先小学校の校庭まできたようです。1階の廊下はドロドロになったそうですが、被害はその程度。
 対して仮設に入っているほうの小学校は、より南で、石巻湾に近かったため1階は全滅状態だそうです。地震のとき、低学年はすでに帰宅後だったので、下校途中の様子を見に行った先生が帰ってきて校庭に車を泊めると、 上の教頭先生から「津波が来るぞ」の声。 監視員の先生も1階にいて「津波?」と実感が湧かないまま、避難してきた足の悪いお年寄りを手伝って慌てて2階に上がったところ、直後に階段の数段下まで津波が来たそうです。
 その後4日間は学校に缶詰。避難所指定はされていないものの、腰まで水に浸かりながらも学校に避難してきた子や近所の方とかが自主避難をしてきて、その近所のかたには多少の食品を持参・差し入れしてくれるかたもあり、皆で分け合ったそうです。水も出るうちにヤカンに取っておいてみんなで分けたり、「今日はかっぱえびせん3本だね」とか、夏祭り用に保管してあったかき氷のシロップを水にで薄めてのんだりとか。自衛隊が支援に入ったのは震災から2~3日後くらい。帰れる先生から交代で帰ったりして自分が4日目自宅に帰るときは徒歩で普通なら1時間くらいかかるところ、道に散乱した瓦礫を乗り越え、ときには家に刺さった船の中を通ったり、乗り越えたりで約2時間。津波の影響のないところにくるとその差にまた驚く状態だったそうです。「なんで私だけこんなにボロボロ?」(こちらにもその時の様子が http://www.mediaship.ne.jp/~elsmins/shinsai/shinsai.html
 今回、たまたま被災した校舎の片付けを本の少し手伝う機会があったのですが、多分仮の職員室として利用していたであろうクラスの黒板には、昨年5月上旬の日付がそのまま。そして学年別児童数の表に「未確認」という欄。幸いというか6学年とも「0」でしたが、その隣の「転出」という欄には「25」など、20名以上の学年も2つ。
 また、片付けていたヤカンに水が入っていて、「あ、あの時の」なんて懐かしそうな声も上がっていましたが、片付け後のちょっとしたミーティングでも、何を仮設校舎で取り急ぎ使うのか、何か新しい学校が建つ3年後に持って行くべきなのか、それまでこの校舎があるのかないのか、校舎内の荷物やゴミの運び出しボランティアが来るときにどのように動いてもらうのか、下に降ろしてもらった荷物の搬出とのタイミングはどうなっているのか、間借りしていた学校の方の片付けもどうするのか・・・一見すると震災の痕跡なんてまるでなくなったようなところも多いですが、まだまだやらなければならないことはたくさんあるのだなぁと思いました。

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周辺の道路は液状化と地盤沈下でまだまだうねっています。(写真左)
学校裏の400戸の仮設住宅。前後の空間はほんの2m。(写真右)

         文責 長山

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