« 教職員ボーリング大会 | メイン | 苦情 »

2011年8月27日 (土)

災害復興ボランティア2陣 その1 (写真は県教組HPにて)

8月23日(火)   (参考:県教組HPはこちら)

 朝、遠野は雨が降っています。今日の作業は釜石。沿岸部の天気はどうでしょうか?

 7時50分に宿を出て、釜石のボランティアセンター(ボラセン)へは9時過ぎに着きました.。
 市、というだけあって、昨日よりもシステマチックです。範囲も大きく、ボランティアに訪れる人数も多いのでこうでないとやっていけないのでしょう。
 受付をします。昨日もそうでしたが、団体で行っているので事前に訪問日と人数を登録しています。
 今日の作業は「ガレキの分別」です。
 ボラセンで鉄板入り中敷きなどを借り、現場に向かいます。
 
作業場所は釜石市立唐丹小学校校庭。





 体育館、全部がボロボロです。つまり、体育館全体を津波が襲ったということです。
 体育館のすぐ隣には堤防。その堤防も海からは10m以上あります。自分だったら、のんきに堤防の上から眺めていたかもしれません。その堤防のさらに10m以上上まで津波が・・・。

 作業の注意を受けます。「地震が来たり、津波警報が出た場合はここからひたすら上に行ってください。車での避難は経路も長く、走っての方がいいです」

 ガレキの分別、と言っても今日の作業は「グラウンドの石拾い」でした。
 「津波に流されていない校庭のほとんどは仮設住宅が建てられ、子どもたちの遊び場がない。どうにかしてのびのび運動のできるグラウンドをつくりたい」
 石拾いなら得意です!毎年やってますから。

 ひたすら石拾いです。
 しかし、石で平らにした校庭で石拾いをしているような、終わりの見えないこの作業、他に15人くらいの方々も黙々と作業をしています。子どもたちの歓声を想像しながら。

 昼休み、子どもたちが逃げたという高台の神社の方へ行って見ました。
 地元の元お姉様とお話ができました。
 「まさか、こんな所まで来るとは」「2度目の波の恐ろしかったこと」「下の平らなところはみんな持って行かれた」

写真左の黒い屋根の家が、その方のおうちです。左に唐丹小の校舎が見えます。

午後の作業は、

石拾いです。

 終了時刻に近づくと、これでなかなかきれいになりました。
 ボランティアセンターに戻り、用具を返却。
 ボランティアセンターの窓には「ボランティア作業、お申し付けください」というポスターが。
 この後見る、大船渡や陸前高田でも感じたことだですが、まだまだやるべきことがたくさんあるのでは?なんて考えてしまいますが、ボランティアというのはひょっとしたら「ハチドリのひとしずく」なのかもしれません。
大きく派手なことではないけれど、数が集まり、時間をかけ、振り返ってみればいかに多くのことを成し遂げられているのか。
 今日の石拾いはまさにそんなことを象徴するような作業だったのかもしれません。


 今回のボランティアの帰りすがら、大船渡と陸前高田を通りました。

 筆舌に尽くしがたし。

 これだけ映像が伝えられる世の中になりましたが、テレビや写真からは分からないものがあります。
 はじめの頃は、においや様々なものが作り上げる空気感のようなものだったでしょう。
 5カ月経った今、においを感じることはなくても、うずたかく積み上げられた瓦礫の山の存在感、見上げるようなビルの上までも破壊し尽くされ、見渡す限り灰燼に帰しているようなスケール感。
 圧倒的です。

命の大切さ。自然の恵みと恐怖。不屈の精神。絆の尊さ。

今、我々教職員自身が何か大きなバトンを受け取った気がします。











おまけ
・作業後のお風呂と夕食は平泉のホテルで。中尊寺までほんの少し。
 でも浮かれている場合じゃないよ。すぐ帰ります。
・途中から、仙台発前橋行きの高速バスとほぼ併走。大型バスにお客は16人だそうで・・・。
 皆様、お疲れ様でした。たぶん、何よりも辛い作業はこの行き帰りのマイクロバスの座席に座っていたことかも…。

更新ブログ