本日、東毛総支部教育研究集会、終了しました。
名前は大それたものですが、教職員版市民講座、みたいなものでしょうか?
ちょっとそれぞれの時間も短く、「もうちょっと聞きたい!」という絶妙のところで終わるという、より学習意欲をかき立てられる講座でしたが(^_^)、まずは初めてのとりくみ、大変意義深かったですし、面白かったです。
色々と企画を考えてくれたり、準備片付けに奔走された役員の皆様には感謝感激です。
次は西毛と中・北毛の教研があります。
是非参加してみてはどうでしょうか?(詳しくは群馬県教組HPより)。
文責 長山
PS それにしても、我々教職員の先輩世代のパワーはやっぱり見習わなければいけませんね。先輩方、お疲れ様でした&有難うございました!
PS2 今月はディズニーツアーや教職員ボーリング大会県大会などその他も盛りだくさんですよ!
学校では指導主事訪問、組合活動では、給与や勤務条件の交渉と何かと忙しい2学期ですが、「親子映画の歴史」の第40回(1987年)以降の詳細をアップしてみました。
当時を知らないので、「こっちの方じゃない」というのがあるかもしれません。
ぜひお知り合いの方も含めてチャックしていただけるとありがたいです。
上のメニューから、「おおた子ども教育文化研究所」→これまでの親子映画
文責 長山
PS こうしてまとめてみると、色々ないい映画、上映してますね。アンコール上映なんて言うのもありまもしれませんね。
来年の話をすると笑うのは?
それはともかく、もう来年の春闘の目標が出ていました。
平均で1%アップを目指す、ということでした。
平均には臨時も含め、です。
先日、車検で訪れたディーラーの副所長さんとお話をしたときのことです。
「公務員の給料も上がってくれないと困るんですよねぇ」
??
公務員バッシングの世の中で、お客だからおべっか使ってくれているんでしょうか?
「こちらも公務員の給料を見て、会社側が色々賃上げを渋るものですから」
なるほど。先日出た人事院や人事委員会の勧告は民間を見て、そして民間は公務員を見て。
同じ勤労者。お互い一蓮托生なんですね。
それとこんなことも言っておられました。
「賃上げが難しいから、年間の総労働時間が1960時間くらいなので、1900時間以下」を目指していく運動でしょうかねぇ」
さて、教職員の年間総労働時間は何時間なんでしょう?
把握すらしていないでしょうけど・・・。それは管理職のみならず、自分自身・・・。
その方は営業所の副所長。学校で言えば教頭先生?
副所長は組合員なんだそうです。所長からが管理職サイド。
「微妙な立場なんですけどね、会社側でもあるし、社員側でもあるし」
みな大変です。鬼も笑ってはいられません。
文責 長山
出ました、群馬県への勧告。主な内容としては・・・。
(1)人事院(国)で言われた現給補償のカットには今年は触れられませんでした。
・来年度以降に言われるかもしれませんですが、これは今後のとりくみで延期させましょう。
(2)人事院で言われた平均-0.23%以上(?)の引き下げ勧告が出ました。群馬県では平均-0.3%(1,152円)減額すべき、と。
・50代はもっと多い割合(金額)になります。2級97号で400円減、2級157号で1,900円減です。
(3)ボーナスは、県内も民間は国の調査と同じく平均3.96月分出ているそうで、「公務員より多い」と言う調査結果ですが、増額は見送られ、現状維持、だそうです。
(4)臨時職員は、地方公務員では「特別職」。給与・勤務条件等「人事委員会の勧告になじまない」そうです。
・人事委員会や県の好きな「他県の状況を見て」では、勧告内容に入れているところもあるので、実際の勤務状況に合わせて、改善提案をしてほしかったですね。官製ワーキングプアは改善すべし、と。
(5)12月議会で条例の改正後、4月に遡って適用、12月のボーナスで調整、のようです。
詳しくはぐんま教育新聞号外や人事委員会のHPなどから
文責 長山
このブログ、携帯からもアクセスできます。
群馬インターネット、頑張っています。
左のメニューにQRコードを追加しましたのでアクセスしてみて下さい。
でも、そうするとアクセスカウンターは進まないかなぁ(T_T)
群馬県教職員組合のHPも携帯版がありますのでご活用下さい。
文責 長山
金子先生が現職中にお亡くなりになって10年が経ちます。
そこで偲ぶ会を行いたいと思います。
2011年10月16日(日)太田教育会館2F<大会議室>
11:30~受付 (太田市新道町19)
12:00~開会
≪会費≫2000円(当日集金 要連絡)出席される方は太田教育会館まで連絡してください。
≪連絡≫弔文(思い出の話や写真、ビデオ)等ある方は事前にお知らせ下さい。
詳しくは実行委員会(教育会館)まで
<主催>偲ぶ会実行委員会
8月21日(日)
雨模様の中、前橋を21:30に出発
今回は高崎駅で学校生協のTさんを乗せ、高崎総支部、東毛総支部と回る。邑楽支部に着いたのは23:40。ちょっと予定よりも遅れたけれど、ここからは高速道路を一晩かけて。焦る必要はなし。安全第一。
ちなみに「安全第一」なら第二は?
たしはそれに続くのは、品質第二、生産第三、だったと思います。品質以上に安全が大事、ということですね。
雨の高速道路の運転は気を遣います。心ないトラッカーのせいで東北道無料化は今月いっぱいだそうですが、真面目な方々が多く東北へ物資を運んでいます。今回のマイクロバスも無料です。トラックはほぼ80km/hで北上。その後についていくとほぼ一定のペースで走れます。2時間おきのドライバー交代でこちらも走り続けます。
8月22日(月)
1:30を過ぎると参加者の皆さん、静かに寝入ってきたようです。狭い車内、申し訳なく思います。自分は必要十分な空間のある運転席なもので・・・。
花巻にPAに朝6時頃着。朝食や帽子・手袋などの作業グッズ、今晩の部屋割りやボランティアの手引きなどを参加者に配布。
朝食は出かけに積んだ太巻き寿司やおいなりさん。朝食を食べながら書記長よりボランティアを行う上での注意点などが説明される。
遠野・釜石経由で大槌へ。釜石の災害ボランティアセンターは8月8日から月曜定休となったので、大槌の災害ボランティアセンターへ向かいます。道路の脇には「声援ありがとう」などのメッセージがあちこちに。なんだか逆に申し訳ない気持ちに。
釜石市街。あの、映像の町並みの中を走ります。丘の上から撮影された、釜石の市内を飲み込む津波の映像。あそこに映っっていたあの建物の中を走っています。
建物の形はあります。映像で見た、ビルの上の様子はそのままです。あの震災から5ヶ月以上。地面部分はきっとがれきの山で覆われていたのでしょうが、ほとんど片付けられており、車もすんなり通れます。
しかし、所々今もなお点灯することのない信号機、1~4階部分をえぐられた建物・・・。
ありきたりの言葉ですが、ここは現実世界です。
そして大槌へ。途中、鵜住居。あの釜石東中学校の生徒たちが避難した石材店の脇を通ります。
大槌市内
「その光景を見て涙が出てきた」
よくあるそんなフレーズを疑っていた。テレビの向こうの世界を、後からのこのこ出かけていって、さも自分も被害者だったかのような・・・。
地震。津波。火災。
所々に建つ建物。
そして、3月11日以前の町並みが、ドライバーの自分の目の中の現実の上に、仮想現実の半透明状に描き映される。
このまるで平面の土地に、立体的な、リアルな「街」があった。
ナビゲーションのモニターには、左手に郵便局、その先の右にはガソリンスタンド、そして信号機の交差点・・・
運転しながら、自然と涙がこぼれてくる。
初めて来る場所なのに。あの恐怖の瞬間なんて、これっぽっちも体験してはいないのに。
大槌小学校だった焼けた校舎の先の道を曲がる。その校舎の2階部分には新しい窓。町役場の機能がここにあるそうだ。
細い道を上がっていくと、大槌町災害ボランティアセンター。社会福祉協議会のプレハブとL字に並んでいる。
我々以外にも数多くのボランティア参加希望者が。しかしあいにくの雨。こちらにとってあいにく、なのではなく、受け入れてくれる方々に余分な配慮をさせてしまうようで申し訳ない。
今日の仕事は「菜の花プロジェクト」。川の堤を菜の花で覆うプロジェクト。そのための土おこしや草刈りなど。確かに人足は必要そうです。
災害ボランティアセンターは津波対策か山の斜面の狭いところにあるため、いったん下の「サテライト」センターへ。そこでカッパを着込み、ボランティア活動用のワッペンを貼り、他の参加者と一緒に作業場所へ向かうため待機します。
菜の花プロジェクト以外の作業もあるようで、その人たちはどんどんと現場に向かっていきます。取り残された感じ?でちょっと寂しい感じに。隣の神奈川県警のパトカーの人たちと目が合います。彼らも警察として派遣されてきているのでしょうか?
しばらくして係の人の先導で他の団体のバスと共に現場に向かいます。先ほど通った小学校よりも先へ。
現場に着くも雨はより本格的に。いったん大槌中の体育館へ。
卒業式準備のまま?ステージには旗がそのまま。
体育館アリーナはめくり上がったまま。壁の、ほぼ1階天井と同じ高さに汚れた線。止まった時計は地震のその時間。でもこれは後からその時間にセットしておいたのかな?
さて、今回の作業「菜の花プロジェクト」なぜこんな作業をするのか、地震当日の状況から説明していただきました。
たぶんこれまでに何十回となく同じ話をしてきたであろうに、やはり話の途中で涙する担当の方。
生の体験、生の声、重みが違います。
そして作業開始です。自分はバスの中に仮眠に行ってしまいましたが、トラックから肥料を降ろし、土手にまき、歩く場所を確保し、種をまく。
受け入れてくれる方々の苦労も感じられます。毎日「勝手に」やってくる人々のために、わざわざ作業・用具・人を用意し、待っていてくれる。そんなことおくびにも出しませんが、地元の人にとってもボランティアというのは色々と負担をかけているのかもしれません。
午前の作業が終わり、花巻からの道中で購入したおにぎりとソーセージをほおばる昼食。午後の作業は実質的に中止です。13時になり作業開始時間からは、隣で作業をしていた川の清掃作業、自然環境の再生プロジェクトのお話をききました。高校生くらいの女の子?重いヘドロを運ぶ作業をしていました。その脇で我々は引き上げです。ボランティア参加者の安全等を考え、現場での勝手な融通等はありません。複雑な思いです。
作業が早く終わったので大槌町内、「釜石の奇跡」の現場、釜石市街の視察です。がれきや残った建物の撤去はどんどん進んでいます。街がより平面に近づいていきます。
そしてそれに反比例して、がれきの集積場は信じられないくらいの高さになっていきます。3階に車が刺さったままの釜石東中学校。今ではその車もなかなか見ることが出来ないくらい高く周辺にはがれきが積み上げられています。
釜石市街は上に書いたようですが、ふと角を曲がると、そこは何の被害もなかった街並み。
この差は何なのでしょう?
今回の震災復興を戦後復興にたとえる人がいます。
しかし、当時はどこも焼け野原。国民のほとんどが、国土のほとんどが似たような状態だったはずです。
今回は、周りの私たちが、当該者意識を持ち続け、「絆」を継続させる必要があるのでしょう。
夜は遠野で宿泊です。前回の、群馬県教組などから電子ピアノ20台を岩手の小中学校へ、或いはボランティアセンターへミネラルウォーター1万本、そんな段取りを皆引き受けてくださった岩手県教職員組合の書記長が宿舎へ陣中見舞いに来てくださいました。
組合とは、こんな人と人とのつながり、なんですね。