色々な支援もあるようですが、ちぐはぐになって必ずしも有効に利用さていないところもあるようです。派遣された小学校の校庭に新しく建物を建てていたのですが、これは放課後クラブ(学童?)で利用するものだそうです。校庭に仮設校舎、学校裏には大規模な仮設住宅ができ、受け入れ人数が増えたための新築(といってもプレハブ)です。しかし、ある先生曰く「空き教室を利用すれば対応可能なのに『これは支援だからつくらなければならない』とまた校庭をつぶして…」。
これとはちょっと違いますが、この小学校でその日、職員総出で廊下の補修をしていました。市教委から「補習を頼んでもなかなか来ないぞ」と言われたので「それなら材料だけ用意してくれれば自分たちでやる」となったそうです。
やはり最後は現場の先生方の工夫や力で学校は成り立っているのだなぁと思いました。
(写真左)松島駅前の食堂。左の青ラインまで津波が来たそうです。
店の中はカウンター以外みんな持って行かれてしまったそうです。
(写真右)日教組もイメージアップに躍起ですね。でも踏ん切れていない感じが…(^_^;)
■余談
まるで関係ない話ですが・・・
宿泊したホテルが、教育手法・教授法について熱心なある団体の全国的な学習会会場になっていました。本当に遅くまで熱心に頑張っている先生方でした。ただ・・・
その、夜の自主的な学習会(?)のアナウンスボードの前にて
参加者の誰かが子供連れで参加したのでしょうか、ある先生(とおぼしき人)が「この分科会会どう?」「行ってみる?」と小学生生くらいの子供を引き連れて行きました。
夜10時過ぎなんですけど・・・。
長山
津波は我々の派遣先小学校の校庭まできたようです。1階の廊下はドロドロになったそうですが、被害はその程度。
対して仮設に入っているほうの小学校は、より南で、石巻湾に近かったため1階は全滅状態だそうです。地震のとき、低学年はすでに帰宅後だったので、下校途中の様子を見に行った先生が帰ってきて校庭に車を泊めると、 上の教頭先生から「津波が来るぞ」の声。 監視員の先生も1階にいて「津波?」と実感が湧かないまま、避難してきた足の悪いお年寄りを手伝って慌てて2階に上がったところ、直後に階段の数段下まで津波が来たそうです。
その後4日間は学校に缶詰。避難所指定はされていないものの、腰まで水に浸かりながらも学校に避難してきた子や近所の方とかが自主避難をしてきて、その近所のかたには多少の食品を持参・差し入れしてくれるかたもあり、皆で分け合ったそうです。水も出るうちにヤカンに取っておいてみんなで分けたり、「今日はかっぱえびせん3本だね」とか、夏祭り用に保管してあったかき氷のシロップを水にで薄めてのんだりとか。自衛隊が支援に入ったのは震災から2~3日後くらい。帰れる先生から交代で帰ったりして自分が4日目自宅に帰るときは徒歩で普通なら1時間くらいかかるところ、道に散乱した瓦礫を乗り越え、ときには家に刺さった船の中を通ったり、乗り越えたりで約2時間。津波の影響のないところにくるとその差にまた驚く状態だったそうです。「なんで私だけこんなにボロボロ?」(こちらにもその時の様子が http://www.mediaship.ne.jp/~elsmins/shinsai/shinsai.html)
今回、たまたま被災した校舎の片付けを本の少し手伝う機会があったのですが、多分仮の職員室として利用していたであろうクラスの黒板には、昨年5月上旬の日付がそのまま。そして学年別児童数の表に「未確認」という欄。幸いというか6学年とも「0」でしたが、その隣の「転出」という欄には「25」など、20名以上の学年も2つ。
また、片付けていたヤカンに水が入っていて、「あ、あの時の」なんて懐かしそうな声も上がっていましたが、片付け後のちょっとしたミーティングでも、何を仮設校舎で取り急ぎ使うのか、何か新しい学校が建つ3年後に持って行くべきなのか、それまでこの校舎があるのかないのか、校舎内の荷物やゴミの運び出しボランティアが来るときにどのように動いてもらうのか、下に降ろしてもらった荷物の搬出とのタイミングはどうなっているのか、間借りしていた学校の方の片付けもどうするのか・・・一見すると震災の痕跡なんてまるでなくなったようなところも多いですが、まだまだやらなければならないことはたくさんあるのだなぁと思いました。
周辺の道路は液状化と地盤沈下でまだまだうねっています。(写真左)
学校裏の400戸の仮設住宅。前後の空間はほんの2m。(写真右)
文責 長山
石巻市(?)のプールのシステムは、基本的には、市がメインの監視員さん1名を確保し、サブの監視員を学生バイトで2名ほど確保。教員は日直ならぬ「水直」1名が担当として行く、といいうようなもののようです。
しかし実際には監視員さんを探すのも大変なようで、派遣先小学校のプールは、校庭の仮設校舎に入っている別の小学校の支援隊の先生がやっていました。
ということで、派遣先の小学校は自校のプールといっても教職員はあまり関わっていません。管理簿は派遣先小学校管理ですが、位置的にも近い仮設に入っている小学校がプール担当という感じです。
それと、支援員の方が監視員をやっているということは「支援員としての雇用が夏休み中は切られる」ということでしょうか?聞き忘れました。
そして我々の仕事は、この大学生バイトくんの役割をすることです。プールサイドから子供達を見たり、プールの中に入ってゴミをとったり、泳ぎを教えたり、一緒に遊んだり。さらに最後の更衣室を点検したり・・・くらいでしょうか。
管理運営はメイン監視員の先生、体操指導は水直の先生がやっていました。
また、このプールは派遣先の小学校、校庭の仮設に入っている小学校、さらに別の仮設に入っている小学校の3校で利用していました。派遣小学校はがおおよそ各学年2クラス合計400名程度で一番大きく、地区別に分けて午前と午後での利用。他の小学校2校で午前と午後で利用、というようにローテーションで利用しています。仮設学校ともう1校は校区が違うので、子供達はバス等でプールに来ているようです。
文責 長山
今回の日教組ボランティアも、各都府県に割り振っての実施となっており群馬が今回割り当てられた宮城県でのボランティアの内容は以下のとおりです。
○7月24日~8月24日の中の数日間
○石巻市・東松島町・山元町・仙台市の小中学校での
・学習支援
・プール開放の運営補助
・学校の清掃・ワックスがけ手伝い 等々
その中で群馬は7月30日~8月3日のプール運営補助となりました。期間は5日間となっていますが、移動も含めてなので実際の活動は真ん中の3日間です。
宿泊は日本三景の一つの松島。 仙石線がこの先のがけ崩れで不通、というのもありますが、昨年の夏休みに日教組ボランティアが警察などのボランティアと共に宿にした縁で今年もベースキャンプとなりました。
一緒に活動するのは千葉県の高等学校の教職員組合です。
ちょっと距離があるので翌日はちょっと早めの出発です。
文責 長山
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