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2012年8月25日 (土)

教育委員会共催 教職員ボウリング大会

昨日は東毛地区予選会でした。

まだまだ暑いですが、来週辺りから新学期もぼちぼち始まります。
過ぎゆく夏を想いながら、ボウリングの後に職場の仲間や、他の学校と合同で暑気払い、そんな風に行事を使ってもらえると主催者かつ主管団体としては嬉しい限りです。

上位5チームが決勝戦戦:10月20日(土)午後、進出となります。

優 勝:大東小MA(大間々東小)
準優勝:大間々北小(大間々北小)
3 位:中央スターズA(太田中央小)
4 位:想RUN武士ボウリング部(広沢小)
5 位:大東小KH2Y(大間々東小)

ちなみに、自分は身内の不幸のため、急遽参加できず残念でした。
そのため写真がありませんが、取り急ぎ。

 

                 文責 長山

2012年8月20日 (月)

最近雷被害が多発していますね。

校庭で授業や部活のとき、登下校のとき、心配されますね。

校庭の真ん中も、木の下も安全ではないようなのですぐさま建物に避難が一番のようです。
車の中も安全なようです。雷が周りの金属部分を通るからだそうです。
走っている場合はどうなるか知りませんが・・・

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 自分の安全が確認できていれば、デジタル化のおかげでこんな写真も簡単に撮れるようになってきました。
そのコツは、光ったらさっとカメラを向けて・・・は無理ですね。三脚にカメラを据えて・・・
■夕方など明るいとき
1)撮影モードをA(絞り優先オート)か、M(マニュアル)に。
2)絞りは最小
3)ISO(感度)は最小
4)ピントもマニュアルで「∞(無限大)」に
5)ドライブはS(シングル)ではなく、LやH、連射です。
6)あとはひたすら連写です。ケーブルレリーズなどがあればスイッチを入れて放っておくだけ。
7)明るさも変化していくので、本当は一回一回シャッターを押し直すほうがいいです。「インターバルタイマー」なんてものがあれば間隔を「0」にすればいいかもです。
■夜など暗いとき
1)撮影モードはM(マニュアル)がいいかも。
2)シャッター速度を10秒~30秒くらいで適度に暗く、それでも景色が分かるくらいの絞りを。
3)感度はやはり低めで
4)後は上の4以降と同様。

デジタルなので何枚撮っても(失敗しても)消せばいいので、光っている方に向けてひたすら連写、これがポイントです。
もちろんくれぐれも身の危険を冒さないように。ご質問は長山まで。

           文責 長山

2012年8月12日 (日)

親子映画

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本年度もミニ映画会の形で行われました。
上映は

「飛べないホタル」
「火の海大阪」
「鬼の子と雪うさぎ」

の3本。それぞれ20分程度ですから合計1時間程度でした。

   文責 長山

2012年8月 9日 (木)

教員採用試験 2次対策セミナー

 昨日高崎で対策セミナーを開催しました。県内各地から、東毛からも沢山参加してもらいました。

校長先生で退職なされた先生相手の集団・個人面接練習、教員採用試験を突破した先輩の話、多少なりとも2次試験へ向かう不安な気持ちを軽減する手助けができればと思います。

 仲間のため、このような活動も手作りしてます。

             文責 長山

2012年8月 7日 (火)

行事その2とその3

8月4日~6日まで 子ども代表団の引率
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 群馬平和運動センターが行っている「ヒロシマに学ぶ群馬子ども代表団」の引率を引き受けています。
 県内各地から参加する子どもたちの引率役です。太田からの子どもも参加しました。プログラムはおおよそ決まっていますし、前向きな子どもたちばかりの参加ですからこちらも楽しいです。組合員のお子さんが参加する場合は補助も出ますよ。

8月6日~8日まで、 平和資料展in駅なか文化館
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(写真は昨年)
8月ですから・・・(^_^;)

               文責 長山

8月6日

8月6日は大きな行事がいくつかありました。

まず・・・

「教育予算要請行動」です。

県教委に対して、管理職や市町村教委のフィルターを通さない生の意見を言う機会です。
来年の予算や施策に反映させてもらうため、現在の現場の抱えている問題を解決してもらうため、9時から15時まで県教組からは延べ100人以上が参加しました。

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さらに同時進行でいくつかの行事もありました。後ほど。

             文責 長山

2012年8月 4日 (土)

そば打ち体験講座

本日は太田教育会館でそば打ち体験講座を開催しました。
同じ教職員とはいえ、それぞれ特技があるものです。
今回の講師はK先生。そば打ち、段持ちです。

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そして僕らは食べる方専門です。
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いいんです。おいしいんだから。

つながる仲間、いいですね。

          文責 長山

現場の声届かず

 色々な支援もあるようですが、ちぐはぐになって必ずしも有効に利用さていないところもあるようです。派遣された小学校の校庭に新しく建物を建てていたのですが、これは放課後クラブ(学童?)で利用するものだそうです。校庭に仮設校舎、学校裏には大規模な仮設住宅ができ、受け入れ人数が増えたための新築(といってもプレハブ)です。しかし、ある先生曰く「空き教室を利用すれば対応可能なのに『これは支援だからつくらなければならない』とまた校庭をつぶして…」。
 これとはちょっと違いますが、この小学校でその日、職員総出で廊下の補修をしていました。市教委から「補習を頼んでもなかなか来ないぞ」と言われたので「それなら材料だけ用意してくれれば自分たちでやる」となったそうです。
 やはり最後は現場の先生方の工夫や力で学校は成り立っているのだなぁと思いました。

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(写真左)松島駅前の食堂。左の青ラインまで津波が来たそうです。
  店の中はカウンター以外みんな持って行かれてしまったそうです。
(写真右)日教組もイメージアップに躍起ですね。でも踏ん切れていない感じが…(^_^;)


■余談
 まるで関係ない話ですが・・・
 宿泊したホテルが、教育手法・教授法について熱心なある団体の全国的な学習会会場になっていました。本当に遅くまで熱心に頑張っている先生方でした。ただ・・・
 その、夜の自主的な学習会(?)のアナウンスボードの前にて
 参加者の誰かが子供連れで参加したのでしょうか、ある先生(とおぼしき人)が「この分科会会どう?」「行ってみる?」と小学生生くらいの子供を引き連れて行きました。
 夜10時過ぎなんですけど・・・。

            長山

2012年8月 3日 (金)

現在進行形

 津波は我々の派遣先小学校の校庭まできたようです。1階の廊下はドロドロになったそうですが、被害はその程度。
 対して仮設に入っているほうの小学校は、より南で、石巻湾に近かったため1階は全滅状態だそうです。地震のとき、低学年はすでに帰宅後だったので、下校途中の様子を見に行った先生が帰ってきて校庭に車を泊めると、 上の教頭先生から「津波が来るぞ」の声。 監視員の先生も1階にいて「津波?」と実感が湧かないまま、避難してきた足の悪いお年寄りを手伝って慌てて2階に上がったところ、直後に階段の数段下まで津波が来たそうです。
 その後4日間は学校に缶詰。避難所指定はされていないものの、腰まで水に浸かりながらも学校に避難してきた子や近所の方とかが自主避難をしてきて、その近所のかたには多少の食品を持参・差し入れしてくれるかたもあり、皆で分け合ったそうです。水も出るうちにヤカンに取っておいてみんなで分けたり、「今日はかっぱえびせん3本だね」とか、夏祭り用に保管してあったかき氷のシロップを水にで薄めてのんだりとか。自衛隊が支援に入ったのは震災から2~3日後くらい。帰れる先生から交代で帰ったりして自分が4日目自宅に帰るときは徒歩で普通なら1時間くらいかかるところ、道に散乱した瓦礫を乗り越え、ときには家に刺さった船の中を通ったり、乗り越えたりで約2時間。津波の影響のないところにくるとその差にまた驚く状態だったそうです。「なんで私だけこんなにボロボロ?」(こちらにもその時の様子が http://www.mediaship.ne.jp/~elsmins/shinsai/shinsai.html
 今回、たまたま被災した校舎の片付けを本の少し手伝う機会があったのですが、多分仮の職員室として利用していたであろうクラスの黒板には、昨年5月上旬の日付がそのまま。そして学年別児童数の表に「未確認」という欄。幸いというか6学年とも「0」でしたが、その隣の「転出」という欄には「25」など、20名以上の学年も2つ。
 また、片付けていたヤカンに水が入っていて、「あ、あの時の」なんて懐かしそうな声も上がっていましたが、片付け後のちょっとしたミーティングでも、何を仮設校舎で取り急ぎ使うのか、何か新しい学校が建つ3年後に持って行くべきなのか、それまでこの校舎があるのかないのか、校舎内の荷物やゴミの運び出しボランティアが来るときにどのように動いてもらうのか、下に降ろしてもらった荷物の搬出とのタイミングはどうなっているのか、間借りしていた学校の方の片付けもどうするのか・・・一見すると震災の痕跡なんてまるでなくなったようなところも多いですが、まだまだやらなければならないことはたくさんあるのだなぁと思いました。

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周辺の道路は液状化と地盤沈下でまだまだうねっています。(写真左)
学校裏の400戸の仮設住宅。前後の空間はほんの2m。(写真右)

         文責 長山

2012年8月 1日 (水)

■業務「すいちょく」とは?

 石巻市(?)のプールのシステムは、基本的には、市がメインの監視員さん1名を確保し、サブの監視員を学生バイトで2名ほど確保。教員は日直ならぬ「水直」1名が担当として行く、といいうようなもののようです。
 しかし実際には監視員さんを探すのも大変なようで、派遣先小学校のプールは、校庭の仮設校舎に入っている別の小学校の支援隊の先生がやっていました。
 ということで、派遣先の小学校は自校のプールといっても教職員はあまり関わっていません。管理簿は派遣先小学校管理ですが、位置的にも近い仮設に入っている小学校がプール担当という感じです。
 それと、支援員の方が監視員をやっているということは「支援員としての雇用が夏休み中は切られる」ということでしょうか?聞き忘れました。

 そして我々の仕事は、この大学生バイトくんの役割をすることです。プールサイドから子供達を見たり、プールの中に入ってゴミをとったり、泳ぎを教えたり、一緒に遊んだり。さらに最後の更衣室を点検したり・・・くらいでしょうか。

 管理運営はメイン監視員の先生、体操指導は水直の先生がやっていました。
 また、このプールは派遣先の小学校、校庭の仮設に入っている小学校、さらに別の仮設に入っている小学校の3校で利用していました。派遣小学校はがおおよそ各学年2クラス合計400名程度で一番大きく、地区別に分けて午前と午後での利用。他の小学校2校で午前と午後で利用、というようにローテーションで利用しています。仮設学校ともう1校は校区が違うので、子供達はバス等でプールに来ているようです。

     文責 長山

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