群馬県議会議員として活躍しているあべともよさんのブログからの転載です。
「群馬県のホームページの左下のほうに、「ご意見・ご提案」というリンクがあるのをご存知でしょうか?この中に、「パブリックコメント」というリンクがあり、ここをクリックすると今年度実施されているパブリックコメントの状況を見ることができます。
募集が終了したものは、随時意見提出の件数や結果、反映状況などが掲載され、それぞれ見ることができますが、1件も意見提出がないものが非常に多いことがわかります。
現在募集中のものは、道路や公園のバリアフリー化に関する構造基準や、公園の設置基準、県営住宅の整備基準や婦人保護施設や保護施設、医療施設、児童福祉施設などの施設や設備、運営の基準に関するもの、障害者自立支援法や児童福祉法に基づく事業や施設の基準に関するものなどで、どれも重要なものばかりです。
ぜひ内容をご覧いただいて、ご意見をお寄せいただきたいと思います。」
結構教育に関することもありますね。
現場の教職員として関心を持たねばならないものもありますし、当事者がだからあまり書き込むべきではないものもあるかもしれません。
というか、これ、素人には判断の難しいものばかりですよね。「情報公開をしておかないと」ということでしょうか?
いずれにせよ、一県民としてよい群馬県にしていくための活動には参加すべきですね。
文責 長山
最近雷被害が多発していますね。
校庭で授業や部活のとき、登下校のとき、心配されますね。
校庭の真ん中も、木の下も安全ではないようなのですぐさま建物に避難が一番のようです。
車の中も安全なようです。雷が周りの金属部分を通るからだそうです。
走っている場合はどうなるか知りませんが・・・
自分の安全が確認できていれば、デジタル化のおかげでこんな写真も簡単に撮れるようになってきました。
そのコツは、光ったらさっとカメラを向けて・・・は無理ですね。三脚にカメラを据えて・・・
■夕方など明るいとき
1)撮影モードをA(絞り優先オート)か、M(マニュアル)に。
2)絞りは最小
3)ISO(感度)は最小
4)ピントもマニュアルで「∞(無限大)」に
5)ドライブはS(シングル)ではなく、LやH、連射です。
6)あとはひたすら連写です。ケーブルレリーズなどがあればスイッチを入れて放っておくだけ。
7)明るさも変化していくので、本当は一回一回シャッターを押し直すほうがいいです。「インターバルタイマー」なんてものがあれば間隔を「0」にすればいいかもです。
■夜など暗いとき
1)撮影モードはM(マニュアル)がいいかも。
2)シャッター速度を10秒~30秒くらいで適度に暗く、それでも景色が分かるくらいの絞りを。
3)感度はやはり低めで
4)後は上の4以降と同様。
デジタルなので何枚撮っても(失敗しても)消せばいいので、光っている方に向けてひたすら連写、これがポイントです。
もちろんくれぐれも身の危険を冒さないように。ご質問は長山まで。
文責 長山
昨日高崎で対策セミナーを開催しました。県内各地から、東毛からも沢山参加してもらいました。
校長先生で退職なされた先生相手の集団・個人面接練習、教員採用試験を突破した先輩の話、多少なりとも2次試験へ向かう不安な気持ちを軽減する手助けができればと思います。
仲間のため、このような活動も手作りしてます。
文責 長山
色々な支援もあるようですが、ちぐはぐになって必ずしも有効に利用さていないところもあるようです。派遣された小学校の校庭に新しく建物を建てていたのですが、これは放課後クラブ(学童?)で利用するものだそうです。校庭に仮設校舎、学校裏には大規模な仮設住宅ができ、受け入れ人数が増えたための新築(といってもプレハブ)です。しかし、ある先生曰く「空き教室を利用すれば対応可能なのに『これは支援だからつくらなければならない』とまた校庭をつぶして…」。
これとはちょっと違いますが、この小学校でその日、職員総出で廊下の補修をしていました。市教委から「補習を頼んでもなかなか来ないぞ」と言われたので「それなら材料だけ用意してくれれば自分たちでやる」となったそうです。
やはり最後は現場の先生方の工夫や力で学校は成り立っているのだなぁと思いました。

(写真左)松島駅前の食堂。左の青ラインまで津波が来たそうです。
店の中はカウンター以外みんな持って行かれてしまったそうです。
(写真右)日教組もイメージアップに躍起ですね。でも踏ん切れていない感じが…(^_^;)
■余談
まるで関係ない話ですが・・・
宿泊したホテルが、教育手法・教授法について熱心なある団体の全国的な学習会会場になっていました。本当に遅くまで熱心に頑張っている先生方でした。ただ・・・
その、夜の自主的な学習会(?)のアナウンスボードの前にて
参加者の誰かが子供連れで参加したのでしょうか、ある先生(とおぼしき人)が「この分科会会どう?」「行ってみる?」と小学生生くらいの子供を引き連れて行きました。
夜10時過ぎなんですけど・・・。
長山
津波は我々の派遣先小学校の校庭まできたようです。1階の廊下はドロドロになったそうですが、被害はその程度。
対して仮設に入っているほうの小学校は、より南で、石巻湾に近かったため1階は全滅状態だそうです。地震のとき、低学年はすでに帰宅後だったので、下校途中の様子を見に行った先生が帰ってきて校庭に車を泊めると、 上の教頭先生から「津波が来るぞ」の声。 監視員の先生も1階にいて「津波?」と実感が湧かないまま、避難してきた足の悪いお年寄りを手伝って慌てて2階に上がったところ、直後に階段の数段下まで津波が来たそうです。
その後4日間は学校に缶詰。避難所指定はされていないものの、腰まで水に浸かりながらも学校に避難してきた子や近所の方とかが自主避難をしてきて、その近所のかたには多少の食品を持参・差し入れしてくれるかたもあり、皆で分け合ったそうです。水も出るうちにヤカンに取っておいてみんなで分けたり、「今日はかっぱえびせん3本だね」とか、夏祭り用に保管してあったかき氷のシロップを水にで薄めてのんだりとか。自衛隊が支援に入ったのは震災から2~3日後くらい。帰れる先生から交代で帰ったりして自分が4日目自宅に帰るときは徒歩で普通なら1時間くらいかかるところ、道に散乱した瓦礫を乗り越え、ときには家に刺さった船の中を通ったり、乗り越えたりで約2時間。津波の影響のないところにくるとその差にまた驚く状態だったそうです。「なんで私だけこんなにボロボロ?」(こちらにもその時の様子が http://www.mediaship.ne.jp/~elsmins/shinsai/shinsai.html)
今回、たまたま被災した校舎の片付けを本の少し手伝う機会があったのですが、多分仮の職員室として利用していたであろうクラスの黒板には、昨年5月上旬の日付がそのまま。そして学年別児童数の表に「未確認」という欄。幸いというか6学年とも「0」でしたが、その隣の「転出」という欄には「25」など、20名以上の学年も2つ。
また、片付けていたヤカンに水が入っていて、「あ、あの時の」なんて懐かしそうな声も上がっていましたが、片付け後のちょっとしたミーティングでも、何を仮設校舎で取り急ぎ使うのか、何か新しい学校が建つ3年後に持って行くべきなのか、それまでこの校舎があるのかないのか、校舎内の荷物やゴミの運び出しボランティアが来るときにどのように動いてもらうのか、下に降ろしてもらった荷物の搬出とのタイミングはどうなっているのか、間借りしていた学校の方の片付けもどうするのか・・・一見すると震災の痕跡なんてまるでなくなったようなところも多いですが、まだまだやらなければならないことはたくさんあるのだなぁと思いました。
周辺の道路は液状化と地盤沈下でまだまだうねっています。(写真左)
学校裏の400戸の仮設住宅。前後の空間はほんの2m。(写真右)
文責 長山
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