2011年10月22日 (土)

平和集会

原爆の日、終戦記念日。

平和を考える日というのがあります。

開戦の日、太田の爆撃の日。

以前にも書きましたが、「平和」と訴えるだけで白い目で見る人がいる昨今、なんだかへんだなぁと。

さて、横須賀です。原子力空母です。
月日が経つと「当たり前」となってしまうのは悲しいことです。既成事実・・・。

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しかし、何でこの時期なんだろ?

2011年10月17日 (月)

尾瀬ハイク

先日、生活部主催の尾瀬ハイクに参加してきました。

 こちらは朝大雨で「これは現地まで行って、どこかの温泉でのんびり、かな?」と思ったのですが、現地はそれほどでもなく、平地に比べて一足早い秋の尾瀬を堪能・・・堪能!してきました。

 辺り一面「草紅葉」これで天気が良ければ!

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こんなの食べてる人も・・・

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2011年9月30日 (金)

群馬県議会 文教警察委員会

 また行ってきました。今回は委員会。

 「義務教育費国庫負担1/2復元へ」の県議会での請願がどうなるかも決まります。

 県議会は年4回。6月、9月、12月、2月。そしてそれぞれに委員会が行われます。
 単純に考えると、年4日の委員会で群馬県の教育に関する色々なことが方向付けられたり、決まったり。

 10人の委員(議員)さんから色々な質問も出ました。学校関係ばかりではなく、社会教育、文化財、地域のこと・・・。現場の声を聞いたもの、新聞やうわさ、そして個人の思いなど、これで色々な方向づけがなされるのかぁ、と。
 学校教育関係では、全国学力テストを悉皆に戻せとか、運動会の日程の件や多忙感解消の件、そして教職員不祥事の件など…。教育委員会も教育長さんをはじめ、次長以下勢揃い、という感じでしょうか?

 さて、焦点の義教費の請願ですが、「継続!」と言う声と「採択!」と言う声。継続とは実質的に不採用です。

 塚原委員から県教委に質問
「1/2に戻すというのは県の財政にとってプラスなのかどうなのか?」
 管理課長
「1/2から1/3になったとき国の交付金は約67億減となった。1/2以下というのは国の責任放棄に近い。県としても1/2のほうがありがたいのは当然」

 そして挙手による採決。

 採択賛成は 塚原仁委員(リベラル群馬)・角倉邦良委員(リベラル群馬)あべともよ委員(爽風)の3名
 継続は 星名建市委員(自由民主党)・中沢丈一委員(自由民主党)・水野俊雄委員(公明党)・桂川孝子委員(自由民主党)・高田勝浩委員(自由民主党)・清水真人委員(自由民主党)の6名

うーん。

政治がどうのではなく、子どもの教育環境や群馬県のことを考えてもらいたいんですけどね。「大人の事情」がかなり大きく働いているようです。
まず、群馬は群馬のことを考え、次にそれらを調整するのは国の仕事なんだから・・・。

          文責 長山

2011年9月22日 (木)

群馬県議会傍聴

生まれて初めて行ってきました。

 県庁の南側が議会建物です。県庁と同じように東から入ります。1階からとても豪華な階段を登って2階へ。そこからさらにエレベーターで6階へ。傍聴受付です。
 住所と名前を書き、携帯の電源を切って入場です。すでに一般質問が始まっています。こんなところ(失礼)に平日の昼間から誰が来るんだろう?と思って中に入ってみると・・・いるわいるわ。ざっと110人くらい。皆さん熱心です。でも40の自分が最年少くらいでしょうか?

 質問は色々ですね。そんなのお茶のみ話で、そこ行って聞けば分かるようなことじゃん、みたいなことも。でもそれも次への質問の布石なんでしょうかね。

 で、例の問題の質問・答弁が終わったとたんにぞろぞろと傍聴人が退出。残ったのは10人ちょい・・・。あらま

 教育関係のもあるのにな。

 それにしても、我々は撮影・録音・携帯禁止ですが、フラッシュ焚いて写真を撮っていたある記者さん、ずっとメールしてましたね。あの位置からすると○○新聞?

 議会の様子、インターネット中継もしているんですね。質問一覧が公表されていれるのでそれと対応させながらでないとよくわからないですけど。その対応がわかりやすければ色々ためになるんでしょうけどね。

     文責 長山

2011年9月11日 (日)

自己研修

先日の土曜日人権啓発講座というものが前橋でありました。

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 主催は人権啓発講座実行委員会となっていて、県教組ではないのですが、参加してきました。県や市町村の担当の方も数多く参加していましたね。

 組合活動って、いろいろな方向で知見を広めるのにも役に立ちます。

               文責 長山

2011年9月 4日 (日)

苦情

金曜日に日教組本部に行ってきました。

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生まれて初めて。

金曜日といえば野田内閣の組閣日。

で、苦情の電話が入ったそうで。

おいおい

               文責 長山

2011年8月27日 (土)

災害復興ボランティア2陣 その1 (写真は県教組HPにて)

8月23日(火)   (参考:県教組HPはこちら)

 朝、遠野は雨が降っています。今日の作業は釜石。沿岸部の天気はどうでしょうか?

 7時50分に宿を出て、釜石のボランティアセンター(ボラセン)へは9時過ぎに着きました.。
 市、というだけあって、昨日よりもシステマチックです。範囲も大きく、ボランティアに訪れる人数も多いのでこうでないとやっていけないのでしょう。
 受付をします。昨日もそうでしたが、団体で行っているので事前に訪問日と人数を登録しています。
 今日の作業は「ガレキの分別」です。
 ボラセンで鉄板入り中敷きなどを借り、現場に向かいます。
 
作業場所は釜石市立唐丹小学校校庭。





 体育館、全部がボロボロです。つまり、体育館全体を津波が襲ったということです。
 体育館のすぐ隣には堤防。その堤防も海からは10m以上あります。自分だったら、のんきに堤防の上から眺めていたかもしれません。その堤防のさらに10m以上上まで津波が・・・。

 作業の注意を受けます。「地震が来たり、津波警報が出た場合はここからひたすら上に行ってください。車での避難は経路も長く、走っての方がいいです」

 ガレキの分別、と言っても今日の作業は「グラウンドの石拾い」でした。
 「津波に流されていない校庭のほとんどは仮設住宅が建てられ、子どもたちの遊び場がない。どうにかしてのびのび運動のできるグラウンドをつくりたい」
 石拾いなら得意です!毎年やってますから。

 ひたすら石拾いです。
 しかし、石で平らにした校庭で石拾いをしているような、終わりの見えないこの作業、他に15人くらいの方々も黙々と作業をしています。子どもたちの歓声を想像しながら。

 昼休み、子どもたちが逃げたという高台の神社の方へ行って見ました。
 地元の元お姉様とお話ができました。
 「まさか、こんな所まで来るとは」「2度目の波の恐ろしかったこと」「下の平らなところはみんな持って行かれた」

写真左の黒い屋根の家が、その方のおうちです。左に唐丹小の校舎が見えます。

午後の作業は、

石拾いです。

 終了時刻に近づくと、これでなかなかきれいになりました。
 ボランティアセンターに戻り、用具を返却。
 ボランティアセンターの窓には「ボランティア作業、お申し付けください」というポスターが。
 この後見る、大船渡や陸前高田でも感じたことだですが、まだまだやるべきことがたくさんあるのでは?なんて考えてしまいますが、ボランティアというのはひょっとしたら「ハチドリのひとしずく」なのかもしれません。
大きく派手なことではないけれど、数が集まり、時間をかけ、振り返ってみればいかに多くのことを成し遂げられているのか。
 今日の石拾いはまさにそんなことを象徴するような作業だったのかもしれません。


 今回のボランティアの帰りすがら、大船渡と陸前高田を通りました。

 筆舌に尽くしがたし。

 これだけ映像が伝えられる世の中になりましたが、テレビや写真からは分からないものがあります。
 はじめの頃は、においや様々なものが作り上げる空気感のようなものだったでしょう。
 5カ月経った今、においを感じることはなくても、うずたかく積み上げられた瓦礫の山の存在感、見上げるようなビルの上までも破壊し尽くされ、見渡す限り灰燼に帰しているようなスケール感。
 圧倒的です。

命の大切さ。自然の恵みと恐怖。不屈の精神。絆の尊さ。

今、我々教職員自身が何か大きなバトンを受け取った気がします。











おまけ
・作業後のお風呂と夕食は平泉のホテルで。中尊寺までほんの少し。
 でも浮かれている場合じゃないよ。すぐ帰ります。
・途中から、仙台発前橋行きの高速バスとほぼ併走。大型バスにお客は16人だそうで・・・。
 皆様、お疲れ様でした。たぶん、何よりも辛い作業はこの行き帰りのマイクロバスの座席に座っていたことかも…。

2011年8月22日 (月)

災害復興ボランティアに参加しています 現地より その1

8月21日(日)
 雨模様の中、前橋を21:30に出発
 今回は高崎駅で学校生協のTさんを乗せ、高崎総支部、東毛総支部と回る。邑楽支部に着いたのは23:40。ちょっと予定よりも遅れたけれど、ここからは高速道路を一晩かけて。焦る必要はなし。安全第一。
 ちなみに「安全第一」なら第二は?
  たしはそれに続くのは、品質第二、生産第三、だったと思います。品質以上に安全が大事、ということですね。

 雨の高速道路の運転は気を遣います。心ないトラッカーのせいで東北道無料化は今月いっぱいだそうですが、真面目な方々が多く東北へ物資を運んでいます。今回のマイクロバスも無料です。トラックはほぼ80km/hで北上。その後についていくとほぼ一定のペースで走れます。2時間おきのドライバー交代でこちらも走り続けます。

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8月22日(月)
 1:30を過ぎると参加者の皆さん、静かに寝入ってきたようです。狭い車内、申し訳なく思います。自分は必要十分な空間のある運転席なもので・・・。
 花巻にPAに朝6時頃着。朝食や帽子・手袋などの作業グッズ、今晩の部屋割りやボランティアの手引きなどを参加者に配布。
 朝食は出かけに積んだ太巻き寿司やおいなりさん。朝食を食べながら書記長よりボランティアを行う上での注意点などが説明される。
 遠野・釜石経由で大槌へ。釜石の災害ボランティアセンターは8月8日から月曜定休となったので、大槌の災害ボランティアセンターへ向かいます。道路の脇には「声援ありがとう」などのメッセージがあちこちに。なんだか逆に申し訳ない気持ちに。

 釜石市街。あの、映像の町並みの中を走ります。丘の上から撮影された、釜石の市内を飲み込む津波の映像。あそこに映っっていたあの建物の中を走っています。
 建物の形はあります。映像で見た、ビルの上の様子はそのままです。あの震災から5ヶ月以上。地面部分はきっとがれきの山で覆われていたのでしょうが、ほとんど片付けられており、車もすんなり通れます。
 しかし、所々今もなお点灯することのない信号機、1~4階部分をえぐられた建物・・・。
 ありきたりの言葉ですが、ここは現実世界です。

 そして大槌へ。途中、鵜住居。あの釜石東中学校の生徒たちが避難した石材店の脇を通ります。


 大槌市内


 「その光景を見て涙が出てきた」
 よくあるそんなフレーズを疑っていた。テレビの向こうの世界を、後からのこのこ出かけていって、さも自分も被害者だったかのような・・・。

 地震。津波。火災。

 所々に建つ建物。

 そして、3月11日以前の町並みが、ドライバーの自分の目の中の現実の上に、仮想現実の半透明状に描き映される。
 このまるで平面の土地に、立体的な、リアルな「街」があった。
 ナビゲーションのモニターには、左手に郵便局、その先の右にはガソリンスタンド、そして信号機の交差点・・・
 運転しながら、自然と涙がこぼれてくる。
 初めて来る場所なのに。あの恐怖の瞬間なんて、これっぽっちも体験してはいないのに。


 大槌小学校だった焼けた校舎の先の道を曲がる。その校舎の2階部分には新しい窓。町役場の機能がここにあるそうだ。
 細い道を上がっていくと、大槌町災害ボランティアセンター。社会福祉協議会のプレハブとL字に並んでいる。
 我々以外にも数多くのボランティア参加希望者が。しかしあいにくの雨。こちらにとってあいにく、なのではなく、受け入れてくれる方々に余分な配慮をさせてしまうようで申し訳ない。
 今日の仕事は「菜の花プロジェクト」。川の堤を菜の花で覆うプロジェクト。そのための土おこしや草刈りなど。確かに人足は必要そうです。
 災害ボランティアセンターは津波対策か山の斜面の狭いところにあるため、いったん下の「サテライト」センターへ。そこでカッパを着込み、ボランティア活動用のワッペンを貼り、他の参加者と一緒に作業場所へ向かうため待機します。
 菜の花プロジェクト以外の作業もあるようで、その人たちはどんどんと現場に向かっていきます。取り残された感じ?でちょっと寂しい感じに。隣の神奈川県警のパトカーの人たちと目が合います。彼らも警察として派遣されてきているのでしょうか?
 しばらくして係の人の先導で他の団体のバスと共に現場に向かいます。先ほど通った小学校よりも先へ。
 現場に着くも雨はより本格的に。いったん大槌中の体育館へ。

 卒業式準備のまま?ステージには旗がそのまま。
 体育館アリーナはめくり上がったまま。壁の、ほぼ1階天井と同じ高さに汚れた線。止まった時計は地震のその時間。でもこれは後からその時間にセットしておいたのかな?

 さて、今回の作業「菜の花プロジェクト」なぜこんな作業をするのか、地震当日の状況から説明していただきました。
 たぶんこれまでに何十回となく同じ話をしてきたであろうに、やはり話の途中で涙する担当の方。
 生の体験、生の声、重みが違います。
 そして作業開始です。自分はバスの中に仮眠に行ってしまいましたが、トラックから肥料を降ろし、土手にまき、歩く場所を確保し、種をまく。
 受け入れてくれる方々の苦労も感じられます。毎日「勝手に」やってくる人々のために、わざわざ作業・用具・人を用意し、待っていてくれる。そんなことおくびにも出しませんが、地元の人にとってもボランティアというのは色々と負担をかけているのかもしれません。

 午前の作業が終わり、花巻からの道中で購入したおにぎりとソーセージをほおばる昼食。午後の作業は実質的に中止です。13時になり作業開始時間からは、隣で作業をしていた川の清掃作業、自然環境の再生プロジェクトのお話をききました。高校生くらいの女の子?重いヘドロを運ぶ作業をしていました。その脇で我々は引き上げです。ボランティア参加者の安全等を考え、現場での勝手な融通等はありません。複雑な思いです。

 作業が早く終わったので大槌町内、「釜石の奇跡」の現場、釜石市街の視察です。がれきや残った建物の撤去はどんどん進んでいます。街がより平面に近づいていきます。
 そしてそれに反比例して、がれきの集積場は信じられないくらいの高さになっていきます。3階に車が刺さったままの釜石東中学校。今ではその車もなかなか見ることが出来ないくらい高く周辺にはがれきが積み上げられています。
 釜石市街は上に書いたようですが、ふと角を曲がると、そこは何の被害もなかった街並み。
 この差は何なのでしょう?
 今回の震災復興を戦後復興にたとえる人がいます。
 しかし、当時はどこも焼け野原。国民のほとんどが、国土のほとんどが似たような状態だったはずです。
 今回は、周りの私たちが、当該者意識を持ち続け、「絆」を継続させる必要があるのでしょう。

 夜は遠野で宿泊です。前回の、群馬県教組などから電子ピアノ20台を岩手の小中学校へ、或いはボランティアセンターへミネラルウォーター1万本、そんな段取りを皆引き受けてくださった岩手県教職員組合の書記長が宿舎へ陣中見舞いに来てくださいました。
 組合とは、こんな人と人とのつながり、なんですね。

2011年8月21日 (日)

東日本大震災 ボランティア活動

 太田市教委のボランティアが広報太田に載っていましたが、群馬県教組の災害ボランティアの第2陣、これから出発してきます。

 太田からは書記長Sさんと、自分の2名ですが、県内各地から集まって行ってきます。

 市教委のものもそうでしたが、ボランティア活動となると土日に行ける人が多いと考え、組合での活動はあえて平日を選んでいます。
 夏休みとはいえ忙しい昨今、それが逆に先生方に不自由をおかけしてしまったようですが・・・。
 夏休みにも時間を有効に使えない、なんか変ですね。文化的専門職のはずなのに・・・。

              文責 長山

2011年8月10日 (水)

養育委員会要請行動

本日は「2012年教育予算要請行動」でした。太田からは代表4名が参加してきました。

要請文も県教委に渡しましたが、それ以外に現場の生の声を伝える場です。

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「生もの」ゆえ、雑多な意見かもしれませんが、管理職や市町村教育委員会を経ない現場の問題点を伝えられたかもしれません。

県の教育委員会としても、きっと他の団体ともこんな要請行動をするのでしょうけれど(先日は○○会とだったはず…)、きちんとした意見が言える団体として今後も県教組を中心にとり組んでいきます。

しかし、教育環境、みんなの職場環境のために頑張る我々、何の苦労もせず、ただそれを利用する人・・・。だんだん納得できなくなってきました・・・。

    文責 長山

PS これから岩手県に県内各地の先生方とボランティアに行ってきます。 byT

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