給与・勤務条件 今年の交渉
県当局及び県教委のとの交渉、ほぼ日程が決まりました。
職場のみんなの意見を届けたり、当局と交渉したりしています。
人ごと、評論家気分ではなく、ぜひ皆さんの意見をぶつけ、働きやすい環境をつくっていきましょう!
活発な討論、民主主義の基本ですから。
日程等は明日の県執行委員会で各地区代表の方には伝わる予定です。
今日中に知りたい方は県教組本部まで。
文責 長山
県当局及び県教委のとの交渉、ほぼ日程が決まりました。
職場のみんなの意見を届けたり、当局と交渉したりしています。
人ごと、評論家気分ではなく、ぜひ皆さんの意見をぶつけ、働きやすい環境をつくっていきましょう!
活発な討論、民主主義の基本ですから。
日程等は明日の県執行委員会で各地区代表の方には伝わる予定です。
今日中に知りたい方は県教組本部まで。
文責 長山
現在(2012/09/29/08:00)ぐんまちゃん第4位
投票はこちらhttp://www.yurugp.jp/
そして県教組のマスコットもいつの間にかこんなのに代わってますね

愛らしい(?)マスコットをよろしく。動員の際の目印旗にもいる場合があります。
ちょっと他の組合と異質ですが、端から見れば威圧のある他の旗端々より親しみあるかと・・・。
しかしちょっと気になるのは、ゆるキャラグランプリにもエントリーしているらしいこの方
どこのどなたなのか・・・そして、どっちが先か?商標法に触れるかの!?
と言うことはさておき、県教組のマスコットキャラの名前はまだありません。仮に「Guちゃん」となっていますが・・・。
そしてGuちゃんはゆるキャラグランプリにはエントリーしていないので、ぐんまちゃんに清き1票を!
文責 長山
あまりいい話題ができないのが悲しい限りですが、只今交渉期です。
本年度の人事委員会勧告は10月10日前後と思われますが、それに先立って本日回答がありました。
●管理職層の減額はよくない行為であり今後も県当局に是正するように
話すつもりである。
●看護等の特別休暇は他県よりよい状況なので増設は難しい。
●長時間勤務の是正について県当局に是正を話しているが、
引き続き一層の労働時間短縮に向けて要請を行う。
●現給保障は国では段階的廃止。県も県職員の実態をみながら勧告・報告を行う。
等々のことを述べていました。
今年は「退職金の減額」「地方公務員給与独自カットの拡大」等、大変大きな事項が交渉の議題になる可能性があります。組合は「みんなの力を合わせるところ」ぜひ皆さんの参加とご協力をお願いします。
ちなみに「昔のイメージ」の組合でも、最近の「抵抗勢力」の組合でもなく、New Generation、「普通」の組合を目指しています。全員参加の会社の組合のイメージです。
自分たちでつくる団体ですから、職場も、組織も自分たちで良くしていきましょう!
文責 長山
分会発送が届いたと思いますが、「パッと見てわかるもの」という観点でつくったため、説明が必要なところもありますので、この場を借りて・・・。
まず、退職金の件です。
「なんて閣議決定だ!」とも言えますが、実は民主党頑張った、と言う点もあります。
「説明する」といいながら、詳しくはお問い合せ下さい…。まぁ、簡単に言い換えるなら「その他の政権になればこんなものではすまない」ということでしょうか。
民主党の中にも即刻400万減、という方もいます。世間も大変ですからね。
しかし民間が大変よい頃に「生涯賃金で均衡」と言われ我慢させられてきたのに、ここに来て「世間が下がったから」で裏切られてしまいそうなベテラン層。何とかしなければなりません。
さらに、政権が頑張ったと言って安心していられません。「閣議決定」といっても法の裏付けはこれから。現在行っている緊急署名へのとりくみ、ぜひお願いします(これから届くところもあります)。
次に人事委員勧告。
「人事院勧告」は国家公務員に対して、そしてこれから地方公務員に対して「人事委員会勧告」が行われます。
教職員のうち、教員は教頭等にならなければ生涯2級、ということで「昇格時の昇給幅抑制」と言っても関係なさそうですが、結果として教員の給与が他に比べて高くなってしまいます。すると・・・、ということですよね。さて、人事委員会は教員を狙い撃ちして何か勧告を出すのでしょうか?
ということで、大事なのはこれからの様々なところとの交渉です。
みなさんの生の声が必要となってきます。ハガキや署名、要請への参加どれでも結構、ぜひ参加してください。
また、政治情勢も大変混迷しています。応援してきた政党のていたらく、腹立たしい限りですが、教職員の話を聞く耳も持たない政党もいます。世間も大変ですから聞き入れてくれるかどうかはまた別ですが、まずは自分たちの意見に耳を傾けてくれる人を選ばないと大変なことになってしまいますね。
文責 長山
最近雷被害が多発していますね。
校庭で授業や部活のとき、登下校のとき、心配されますね。
校庭の真ん中も、木の下も安全ではないようなのですぐさま建物に避難が一番のようです。
車の中も安全なようです。雷が周りの金属部分を通るからだそうです。
走っている場合はどうなるか知りませんが・・・
自分の安全が確認できていれば、デジタル化のおかげでこんな写真も簡単に撮れるようになってきました。
そのコツは、光ったらさっとカメラを向けて・・・は無理ですね。三脚にカメラを据えて・・・
■夕方など明るいとき
1)撮影モードをA(絞り優先オート)か、M(マニュアル)に。
2)絞りは最小
3)ISO(感度)は最小
4)ピントもマニュアルで「∞(無限大)」に
5)ドライブはS(シングル)ではなく、LやH、連射です。
6)あとはひたすら連写です。ケーブルレリーズなどがあればスイッチを入れて放っておくだけ。
7)明るさも変化していくので、本当は一回一回シャッターを押し直すほうがいいです。「インターバルタイマー」なんてものがあれば間隔を「0」にすればいいかもです。
■夜など暗いとき
1)撮影モードはM(マニュアル)がいいかも。
2)シャッター速度を10秒~30秒くらいで適度に暗く、それでも景色が分かるくらいの絞りを。
3)感度はやはり低めで
4)後は上の4以降と同様。
デジタルなので何枚撮っても(失敗しても)消せばいいので、光っている方に向けてひたすら連写、これがポイントです。
もちろんくれぐれも身の危険を冒さないように。ご質問は長山まで。
文責 長山
昨日高崎で対策セミナーを開催しました。県内各地から、東毛からも沢山参加してもらいました。
校長先生で退職なされた先生相手の集団・個人面接練習、教員採用試験を突破した先輩の話、多少なりとも2次試験へ向かう不安な気持ちを軽減する手助けができればと思います。
仲間のため、このような活動も手作りしてます。
文責 長山
色々な支援もあるようですが、ちぐはぐになって必ずしも有効に利用さていないところもあるようです。派遣された小学校の校庭に新しく建物を建てていたのですが、これは放課後クラブ(学童?)で利用するものだそうです。校庭に仮設校舎、学校裏には大規模な仮設住宅ができ、受け入れ人数が増えたための新築(といってもプレハブ)です。しかし、ある先生曰く「空き教室を利用すれば対応可能なのに『これは支援だからつくらなければならない』とまた校庭をつぶして…」。
これとはちょっと違いますが、この小学校でその日、職員総出で廊下の補修をしていました。市教委から「補習を頼んでもなかなか来ないぞ」と言われたので「それなら材料だけ用意してくれれば自分たちでやる」となったそうです。
やはり最後は現場の先生方の工夫や力で学校は成り立っているのだなぁと思いました。

(写真左)松島駅前の食堂。左の青ラインまで津波が来たそうです。
店の中はカウンター以外みんな持って行かれてしまったそうです。
(写真右)日教組もイメージアップに躍起ですね。でも踏ん切れていない感じが…(^_^;)
■余談
まるで関係ない話ですが・・・
宿泊したホテルが、教育手法・教授法について熱心なある団体の全国的な学習会会場になっていました。本当に遅くまで熱心に頑張っている先生方でした。ただ・・・
その、夜の自主的な学習会(?)のアナウンスボードの前にて
参加者の誰かが子供連れで参加したのでしょうか、ある先生(とおぼしき人)が「この分科会会どう?」「行ってみる?」と小学生生くらいの子供を引き連れて行きました。
夜10時過ぎなんですけど・・・。
長山
津波は我々の派遣先小学校の校庭まできたようです。1階の廊下はドロドロになったそうですが、被害はその程度。
対して仮設に入っているほうの小学校は、より南で、石巻湾に近かったため1階は全滅状態だそうです。地震のとき、低学年はすでに帰宅後だったので、下校途中の様子を見に行った先生が帰ってきて校庭に車を泊めると、 上の教頭先生から「津波が来るぞ」の声。 監視員の先生も1階にいて「津波?」と実感が湧かないまま、避難してきた足の悪いお年寄りを手伝って慌てて2階に上がったところ、直後に階段の数段下まで津波が来たそうです。
その後4日間は学校に缶詰。避難所指定はされていないものの、腰まで水に浸かりながらも学校に避難してきた子や近所の方とかが自主避難をしてきて、その近所のかたには多少の食品を持参・差し入れしてくれるかたもあり、皆で分け合ったそうです。水も出るうちにヤカンに取っておいてみんなで分けたり、「今日はかっぱえびせん3本だね」とか、夏祭り用に保管してあったかき氷のシロップを水にで薄めてのんだりとか。自衛隊が支援に入ったのは震災から2~3日後くらい。帰れる先生から交代で帰ったりして自分が4日目自宅に帰るときは徒歩で普通なら1時間くらいかかるところ、道に散乱した瓦礫を乗り越え、ときには家に刺さった船の中を通ったり、乗り越えたりで約2時間。津波の影響のないところにくるとその差にまた驚く状態だったそうです。「なんで私だけこんなにボロボロ?」(こちらにもその時の様子が http://www.mediaship.ne.jp/~elsmins/shinsai/shinsai.html)
今回、たまたま被災した校舎の片付けを本の少し手伝う機会があったのですが、多分仮の職員室として利用していたであろうクラスの黒板には、昨年5月上旬の日付がそのまま。そして学年別児童数の表に「未確認」という欄。幸いというか6学年とも「0」でしたが、その隣の「転出」という欄には「25」など、20名以上の学年も2つ。
また、片付けていたヤカンに水が入っていて、「あ、あの時の」なんて懐かしそうな声も上がっていましたが、片付け後のちょっとしたミーティングでも、何を仮設校舎で取り急ぎ使うのか、何か新しい学校が建つ3年後に持って行くべきなのか、それまでこの校舎があるのかないのか、校舎内の荷物やゴミの運び出しボランティアが来るときにどのように動いてもらうのか、下に降ろしてもらった荷物の搬出とのタイミングはどうなっているのか、間借りしていた学校の方の片付けもどうするのか・・・一見すると震災の痕跡なんてまるでなくなったようなところも多いですが、まだまだやらなければならないことはたくさんあるのだなぁと思いました。
周辺の道路は液状化と地盤沈下でまだまだうねっています。(写真左)
学校裏の400戸の仮設住宅。前後の空間はほんの2m。(写真右)
文責 長山
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